きゃれるのお話。こっそり書くよ。

根拠がある話と、自分で考えた根拠のない話と、日記を書きます。

天気の子を昔に見たから思い出してみる。

いつみたかすら思い出せない「天気の子」を思い出してみます。半年から1年前に見た気がします。やはり観るっていう受動的なものよりも自分で考えた能動的なことの方が記憶に残っているもので、そこから書いて行こうかと思います。

 

このブログ記事は新海誠さんの映画「天気の子」のネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネタバレを存分に書きつつ、振り返って行こうと思います。

穂高君は雨男だったんじゃないかと思ったことを最初に思い出しました。なぜ?最後のシーンで雨だったから。主人公が上京してから雨続きだったから。主人公の島でも晴れが逃げて行く、雨が逃さないような夢を見る描写があったから。

 

端的にいうとこれだけでそう考えていたと思います。陽菜さんが祈ると晴れになるけれど、その前は全て雨なわけで、なんで毎回のように雨が降ってたんだろう、毎回のように陽菜さんが晴れにしてるんだ。と考えていて、そばにいて普段は穂高の雨男パワーが勝っていて、祈ると陽菜さんの晴れが優先されるのか、穂高も一緒に祈っていたから晴れるのか。

 

なんて考えていたんですけど、じゃあ穂高は力の代償を払わずに、陽菜さんは消えてしまう、人柱扱いされてしまうのか??なんてなってしまって。

 

大切な人、自身を犠牲にではなく他者が人柱になってしまうのかもしれないな。とも思いました。

タイトルは天気の子であって、晴れ女でもないのが気になってました。天気には雨も晴れも含まれますし、子には男の子も女の子も含まれますからね。

 

映像がとても綺麗だったなーとも思います。晴れのシーンってほとんどなかった気がしますけど。だからこそ雨の差異が綺麗に描写されていた気がします。

日本語の雨ってたくさん種類があって素敵ですよね。いつか記事に書くかもしれません。僕が好きな雨は「やらずの雨」です。帰ってしまうのを引き止める雨ってやつですね。

 

お盆が強調されていたのを急に思い出しました。いいぞ!!

お盆といえばあちらとこちらを行き来できて、馬に乗ってきて牛に乗って帰って欲しいから、それぞれきゅうりとナスで作りますね。わざわざ出てきたのだから意味を持たせたかったんだろうなと思い考えてみます。まぁ、陽菜さんが消えてしまったのは、あちらに行ってしまったから。くらいしかわからないですけど。お盆だから帰ってこれたのかなとも思いますね。その期間だけつながっているから。

 

お盆の時って迎え火と送り火ってものをやりますよね。火を焚いてこちらですよ。とお迎えして、見送ってますね。と伝えるために。

 

考えていたのは、雨乞いの時に煙をたく、火を焚いて祈祷するなんてものがあったなと思い出しました。煙って何かしらの粒子が空に上がっていくもので、雨粒って、そういうちりのような粒子があるとできやすかったり、雲になりやすかったりするんですよね。

 

雨乞いの時は煙の煤などで雨を呼び込むのか。と思って、穂高君が登っていったらどうなる??なんて考えて、とっても大きいからたくさん雨降っちゃうのかななんて。お盆だから登って行けたのかなともイメージは繋がってます。もしくは陽菜さんを連れて帰れるのは煙より大きな穂高君が空に飛んだからかなと。

 

こういうような、いろんな派生で考えるのはとても楽しいですね。雨乞いなんて、晴れを願う映画の真逆なんですけどね。とりあえずは筆を置きます。考えなしに書くのはとても楽しいですね。

 

今日は晴れてました。風が強い日でした。