日曜日の憂鬱
きゃれるですくです。
図書館とかにおいてある、机です。
一人用の、あの、本と一対一で過ごしたり課題と向き合う場所はとても良いですね。
社会人になっておりまして、1年目が終わったので、つらつらと感想でも書いていこうかなと思います。
日曜日が憂鬱です。
月曜日が来るからです。
平和とは戦争をしていない間であり、次の戦争への準備期間である。
のような
そういう気持ちにさせられます。
金曜日の夜に、次の仕事は月曜日か…と考えながら様々なことをします。
ようやくわかったのですが、週末に意識的にやりたいことや予定を詰め込まなければ、陰鬱な時間にどうでもいいことをひたすら考えてしまうのです。
考え直したほうが良いです。
しっかりと予定をつけて、週末を楽しむべきなのです。
大学生のころは何もしない自堕落な日々でもよかったのですが、
最近は週末が充実していると記憶に残りやすくなっているように思います。
仕事をしている、という制限があるせいで、土日の短い時間でも楽しく感じられることがあったりするのです。
川幅を狭めると、水の流れが速くなる。みたいな。
制限があると、楽しい時間がより濃ゆく感じる。みたいなことがあるのかもしれません。
そんなどうでもいいことを考えておりました。
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最近思うところがいろいろあることが起き、様々なことを考えたことは、まだ抽象化できていないので、自分の中で整理がついたら、自分のために文字に起こそうと思います。
記憶の糸引きのために、「ダブルデート」という単語を残しておきます。
恋愛話の話
恋愛経験ってものありますか皆様。俺はほんの少しだけあります。
依存されたことがあり、こちらが依存したこともあります。お互いに依存していたところ、相手は先に依存を解き、私はフラれたわけです。さて、非常に妥当な判断であるとも思ってしまうあたり、私は馬鹿なのですが。
結局のところ、依存していると相手はどうしたら逃げないか、嫌な思いさせないか、などばかりを考えてしまい、まじで個性とかなくなります。魅力もなくなります。嫌われないっていう受身方向の努力をしていては、ここがダメ、直す、ここがダメ、直す、愛想尽かされる。
先行きなさすぎですね。
強烈に好かれる個が必要だと感じました。一つ尖った魅力があれば、好かれていれば、嫌われないわけです。嫌われたくないから嫌なとこを直すとかではなく話し合ってどうするのかを考えるべきです。
いやしんどいな。
なんやかんやで馬鹿みたいに好きな自身とそれをちょっと引いて見ている自身がいるわけです。ちょっと引いた自分から見たらほんとにバカだとは思うのですが、まぁしゃーなし。
八方塞がりなくらい約束や言われたこととかあってまじで身動き取れなくなってたけど、その全てを話すべきだしって感じ。全く。バカだね。
しゃーなし。
やっぱ無理だわ。しんどいね。
天気の子を昔に見たから思い出してみる。
いつみたかすら思い出せない「天気の子」を思い出してみます。半年から1年前に見た気がします。やはり観るっていう受動的なものよりも自分で考えた能動的なことの方が記憶に残っているもので、そこから書いて行こうかと思います。
このブログ記事は新海誠さんの映画「天気の子」のネタバレを含みます。
ネタバレを存分に書きつつ、振り返って行こうと思います。
穂高君は雨男だったんじゃないかと思ったことを最初に思い出しました。なぜ?最後のシーンで雨だったから。主人公が上京してから雨続きだったから。主人公の島でも晴れが逃げて行く、雨が逃さないような夢を見る描写があったから。
端的にいうとこれだけでそう考えていたと思います。陽菜さんが祈ると晴れになるけれど、その前は全て雨なわけで、なんで毎回のように雨が降ってたんだろう、毎回のように陽菜さんが晴れにしてるんだ。と考えていて、そばにいて普段は穂高の雨男パワーが勝っていて、祈ると陽菜さんの晴れが優先されるのか、穂高も一緒に祈っていたから晴れるのか。
なんて考えていたんですけど、じゃあ穂高は力の代償を払わずに、陽菜さんは消えてしまう、人柱扱いされてしまうのか??なんてなってしまって。
大切な人、自身を犠牲にではなく他者が人柱になってしまうのかもしれないな。とも思いました。
タイトルは天気の子であって、晴れ女でもないのが気になってました。天気には雨も晴れも含まれますし、子には男の子も女の子も含まれますからね。
映像がとても綺麗だったなーとも思います。晴れのシーンってほとんどなかった気がしますけど。だからこそ雨の差異が綺麗に描写されていた気がします。
日本語の雨ってたくさん種類があって素敵ですよね。いつか記事に書くかもしれません。僕が好きな雨は「やらずの雨」です。帰ってしまうのを引き止める雨ってやつですね。
お盆が強調されていたのを急に思い出しました。いいぞ!!
お盆といえばあちらとこちらを行き来できて、馬に乗ってきて牛に乗って帰って欲しいから、それぞれきゅうりとナスで作りますね。わざわざ出てきたのだから意味を持たせたかったんだろうなと思い考えてみます。まぁ、陽菜さんが消えてしまったのは、あちらに行ってしまったから。くらいしかわからないですけど。お盆だから帰ってこれたのかなとも思いますね。その期間だけつながっているから。
お盆の時って迎え火と送り火ってものをやりますよね。火を焚いてこちらですよ。とお迎えして、見送ってますね。と伝えるために。
考えていたのは、雨乞いの時に煙をたく、火を焚いて祈祷するなんてものがあったなと思い出しました。煙って何かしらの粒子が空に上がっていくもので、雨粒って、そういうちりのような粒子があるとできやすかったり、雲になりやすかったりするんですよね。
雨乞いの時は煙の煤などで雨を呼び込むのか。と思って、穂高君が登っていったらどうなる??なんて考えて、とっても大きいからたくさん雨降っちゃうのかななんて。お盆だから登って行けたのかなともイメージは繋がってます。もしくは陽菜さんを連れて帰れるのは煙より大きな穂高君が空に飛んだからかなと。
こういうような、いろんな派生で考えるのはとても楽しいですね。雨乞いなんて、晴れを願う映画の真逆なんですけどね。とりあえずは筆を置きます。考えなしに書くのはとても楽しいですね。
今日は晴れてました。風が強い日でした。
これは雑記であり意味のないものです。
これはほんとに雑記であり、意味のないものである。最近の自分の文章は「粗製濫造」が過ぎますね。粗悪なものをたくさん作っちゃう0ーみたいな。なんとか意味のあるものを作りたいものです。厳しい。
恋愛とか、本気でやってるから傷つくのも無理はないし、まぁ仕方ないとは思います。合理的じゃないなーって思いつつも、まぁ好きなら仕方ないですね。
好きってすごくないですか。例えば浮気されても、まだその人のことが好きなのであれば、じゃあ別れる!とか言われたら引き止めてしまうんですよ??好きっていうだけでなんなんでしょうね。
ポンコツなので今ほんとポンコツです。書評とか書いて、賢いフリをしてみたいものです。
今日は一日しんどい日でした。
お家にいるなら水を飲め。飲もう??みんなに飲んで欲しい。
お題「#おうち時間」
今回書く話は単純で、1日の必要水分量は2.5リットルと言われているが、井川他(2002)の女子短大生68名を対象とした調査によると、2リットル以上の摂取者は全体の7.4%しかいなかった。
日常から水分量は不足している人が多いことが推測できる。自販機などで水分を手に入れている人が多い思われるが、外出自粛で水分摂取は非常に不規則になっていると思われる。
要するに、日頃から水たりてないのに、自粛で外に出ないから水もっと足りてなくない?今こそ水を測ってたくさん飲もう???って話である。
具体的な方法としては、2リットルの水を買ってきて、1日で飲み干す。というものだ。自販機のお茶よりも費用は少なく行える。捨てるときの、今日も2リットル飲んでやったぜ。という気分はなかなか心地よい。
これは主観であり、個人的感想ではあるが、疲れにくくなりどことなく調子が良くなった。
また、1日10回以上に分けて水は飲むと良い。一度に摂取できる量を超えると残りは排泄されてしまうからだ。
また、手間でないならばお湯の方が良い。体温より少し高いくらいが良い。理由は単純で、体に取り込んだ水を体温程度まで熱する必要があり、体温を調整する際に熱量を使ってしまうからだ。そこで疲れてしまう。
今わりとできることで、簡単に、ほんの少し健康になれるかもしれない話。ちょっと試してみるのも悪くないと思う。
今日は眠いけれど寝られない夜でした。
コロナを強く恐れなくていい。自粛したら収まるってわかってるんだから!!
まず、情報の真偽を見極めましょう。マスクに虫が!!って話を聞いて、本当?と疑ってみたり、日本のやり方は悪い!と批判の話を聞いたら本当か、何で判断しているかを確認したりしましょう。死亡数、感染者数、隠れ陽性なんて言葉もあったり、様々な情報が飛び交うなか、自分は日本はよくやっていると思います。
個人の意見です。
安部首相がツイッターで、星野源さんの曲と並んで動画をあげていましたが、批判のコメントがたくさんありました。いいな。と思った人は別にコメントはしないけど、批判する人はコメントをつける。とかも推測できるかもしれません。これは自分の意見ですけど。こんな考え方の人もいるっていう情報を頭に入れておくだけで、考えの幅や思考が深まるかもしれません。
個人の意見です。
2週間自粛を達成したら、収まるかもしれない。かもしれないだけだけど、自身が病気か分からなくてもとりあえず自粛する。っていうのが最善策かなと思います。もちろん倒れそうになったら救急車を呼んでください。基本的には家で安静にするべきです。
インフルエンザや風邪のように、コロナとも一緒に生きて行くのかなと思うので、爆発的感染を抑えたら、わりと普通な生活ができると思います。
10万円に関しては、貯金はせずに、パーーーっと使って欲しいです。景気良くしましょう。潰れて欲しくないお店で買い物をしましょう。景気を回しましょう。お金使って好きなもの買ってお店を助けられるの最高ですね。
今日はしんどい1日でした。生きてる気がしねぇ。
ブログの方向性を定めろって話
自戒の念を込めて、ブログの方向性を考えないと雑然としたものになってしまう。雑なものは読まれないし無駄が多いし、良くない。アップル製品のデザインって無駄を消しましたみたいな顔してるけど、結局リンゴのロゴがあるの、かっこいいけど、無駄だとは思う。あのリンゴが消えた時、ほんとにシンプルにこだわった製品になると思う。
ジャンル分けするか。一個にこだわるか。少なくともゴミではない、良いものを作りたいので雑さは排除しようと思う。知識とか教養とか雑学みたいなもの。自分の考えたこと。日記。の3種類かな。うん。だいたいこれで書きたいことはカバーできるとは思う。
わかりやすいもの。は読みやすくて伝わりやすいから、心がけて頑張っていきたい。
このブログについて、ほんの小話
きゃれるの話、ちょっと聴いてくれませんか。
聴くの方が、気合入れてる感じがあって嬉しいですね。読み物ですけどね。
アクセス数とかつい見てしまいますね。21回読んでもらって、そのうち自分が10くらいなので、11回も面識のない方に読んでいただきました。初めて数日のブログなので、嬉しいです。知らない人に話をするのも難しいけど、なんか、凄く嬉しいです。スターとかつけてもらえるとめっちゃ嬉しいです。
その方のブログを見に行ってここ数日の物を全て読んでしまうくらい、嬉しくなってしまいまして。これもこれで楽しいコミュニケーションの形だなと思いました。
今日はいい加減体調が悪いのが治んないかなと思って早1週間くらいたった日でした。
おうちの時間。皆さんは何をしていますか。学生の私は自堕落な生活を送っています。
お題「#おうち時間」
おうち時間ですね。わたしは朝起きて、豆腐食べて、気がついたらお昼になって、何も食べずにいて、夜になったらご飯を食べています。
学生なので、やはり勉学が不安になります。今後の授業形態はどうなっていくのでしょうか。ここで、オンライン授業などを取り入れて、今後対面授業が行えるようになったときに、何か、今導入したシステムを活かせるといいなと考えてしまいます。
もしできればの話ですが。タブレット学習などが叫ばれていた中、今後でも活きるシステムをガンガン試して欲しいですね。学生を実験台にするなというのはわかりますが。今ならできると思います。やった方がいいですね。
YouTubeライブやウェブ授業など、様々な形態を試せますね。
企業は今後在宅ワークを進めやすくなるので、やればやるだけ良いと思います。通勤手当がなくなるし、通勤時間もなくなる分、余暇が増えます。家は辛いですけどね。
コロナのような衝撃的な事態が起きることで、文化や生活が変わるのかもしれません。家はのんびりする場所。という考えから変化して、家の中に会社のような部屋を作るのが当たり前になって、出勤=その部屋に行くこと。になるのかもしれません。
家の中に会社を作るのは面白いですね。キッチン、ダイニング、会社。
集中できる部屋を作る。のは文化レベルがあがるかもしれません。
今日はコロナの論文を読みあさって楽しくない日でした。Googleスカラーは無料で論文が読めるから素敵です。皆さん使ってドヤ顔で最先端の研究を覗き見ましょう。わからないものはほっといて、わかるものだけ読めば楽しいです。
思考の固定化、言語化の話
きゃれるです。ちょっと聞いてよ。
小難しそうに見えて、単純なことを書いていきます。言語に、文字にするとニュアンスが固定化されるって話を書いていきます。
例えば、高校時代の放課後に夕日が教室に入り込んで、少し使い古された椅子や机が少し寂しげにうつる、昼頃はにぎわっていた空間がすっと静寂を手に入れたような空気。
を想像したとします。ぶっちゃけ「放課後の教室」ってだけなんですけど、これを「放課後の教室」と短く表現すると、その瞬間、普遍的な一般的なものになってしまうわけです。この人が特に表現したかったのは、あの空気感なのか、夕日のオレンジなのか、寂しさなのか。果たして、「放課後の教室」といった瞬間さまざまな要素がそぎ落とされているわけです。それ以上の広がりは、必死に言葉を足したとしても、足されたものであって、付属品としての扱いしか受けません。
言葉は便利ですが、あるものや様子に名前を付けた瞬間にそれはその言葉のものになってしまう。という話です。
さらに話をすると、言葉を使った時点でそれは例だと私は思っています。思考が先か言語が先か。など様々な議論がありますが、私は思考が先だと考えています。先ほどの教室の例を言葉にしても、いくら言葉を重ねても、体験と同程度の情報量は得られないと思っており、体験と言葉の関係性は抽象と具体と同じだと思っています。
そんな感じ。
今日は文章書くの上手になりたい日でした。
ゲームしてますか?
今週のお題「ゲーム」
はてなブログには今週のお題というものがあるんですね。1テーマ考えていることがあるので書いていこうかなと思います。香川県議会は3/18の定例議会で「ネット・ゲーム依存症対策条例案」を賛成多数で可決しましたね。様々な問題があふれる中、ゲームは本当に悪なのかを書いていこうと思います。
ゲームには様々なメリットとデメリットが存在します。やりすぎによるデメリット、通常時のデメリットとメリットの3種を記述していきます。
やりすぎによるデメリットについて。
やりすぎ、という文字からわかる通りゲームをやりすぎている場合の話です。森(2002)の研究によるとゲームを長時間行うと「ゲーム脳」になる。「ゲーム脳」とはテレビゲームを長時間習慣的に行っていると、脳の前頭前野におけるα波とβ派のバランスが崩れ元に戻らなくなってしまう状態を指す。この変化後の脳波のバランスは認知症である老人と同等であると評され、ゲーム脳になった子供は集中力が落ち、キレやすくなり、記憶力が鈍り、現実と虚構の区別がつかなくなるという。
相当怖いことが書いてあります。ゲーム脳がこのころ流行語になるのがうなずける怖さです。
しかしながらこの論文には懐疑的な意見が多いです。昨今の潮流から見て、重く受け止める必要はないでしょう。問題があるならば、これに追随した論文が大量に発表されるはずです。
次は通常時のデメリットです。
ゲームは頭を使わないと何も成長しないです。時間の無駄です。また、成長には速度や限界があるため、ある程度以上は無駄になります。さらに社会の了解を得られません。また、直接的に成長が活きることは、活かそうと思わない限り難しいです。
当たり前なことがデメリットとしてあげられます。野球の練習を一日12時間したとします。ボールを投げる練習をし続けると、早く投げられるようになりますが、社会人がボールを投げる時なんて滅多にないです。また、ボールを早く投げられるって言っても、限界もあるし成長率もある程度で遅くなります。
要するに、そんなにデメリットもないなという話です。
最後に通常時のメリットの話をします。
ゲームのメリットはさまざまですね。普通はできないことの体験ができることによる想像力の増長、戦術戦略を考える思考力の上昇、体格や国籍や性差に左右されない平等な場所としての価値、どこにいても誰かと遊べる自由性。
私はゲームは非常に平等なものだと思っています。老人が入力するaボタンも子供が押すaボタンも等しくその効力を発揮します。そんなところが良い。
さて、つらつらと書いてきましたが、ゲームでもスポーツでも勉学でも、真剣に頭を使って行うことで何かしらの発達や進化があり、頭を使わないと何も生まれないということはどれにも共通することだと思います。ITが台頭する現在、柔軟な思考と発想力を養うために、ゲームを真剣に行うのはいかがでしょうか。
といったところでここまで。
今日は彼女に振られて馬鹿みたいに泣いた日でした。
情報を知る。だいたいの数値を知る。
雑な話をしていて、数字の常識の重要性を知った。
皆さんは、一律10万円もらえるって聞いてどう考えましたか?自分は全金額が間違って私の手元に来ないかなって考えました。1億人くらいの日本人がいて、一人10円ならば10億円、100円なら100億円、1,000円ならば1,000億円、1万円なら1兆円、ということで一人当たり10万円ならば、もしも私のもとにぜんぶきたら10兆円になりますね。
ここからが本題
誰かが、それだけあったら日本が1年くらい運営できるんじゃない!?
さて皆さんはここでそれは違うと自信をもって言えますか?
日本の予算の金額が、だいたいどれくらいご存知でしょうか。財務省のホームページに行けばすぐに見つけることができます。
令和2年度の一般会計概算要求、要望額は100兆円くらいですね。
ここで皆さんにしてもらいたいことは2つで、日本の国家予算はだいたい100兆円くらいだっていう知識を持ってもらいたいのと、こんな個人が書いているブログの100兆円っていう数字に信憑性があるのかを疑ってもらいたいということです。データを聞くときはその数値は正しいか、そもそもやり方はあってるか、その数値が聞きたいことに対する答えとして適切なのか、など批判的に見てもらいたいです。
今日は静かな夜でした。
知識のハードルを下げたい
表題の通り、知識のハードルを下げたいと常々考えている。
昨今、インターネットの影響でプロの意見や一流の話を簡単に聞くことができる。たしかにそれによるメリットは計り知れない。トッププレイヤーの意見や考えを直接聞ける場所が増えているし、専門家の意見などにも簡単にアクセスできる。
情報には種類が存在する。たとえば、コロナ対策などは専門家以外の意見はある程度しか参考にならない。「病気に対して人間という動物はどのように対処するべきか。」においては個人差はそこまで存在しないからだ。
しかし一般的な情報というものは、受取人によって個人差が存在するものであるからこそ、多様な人が情報を得られるように、そこそこレベルの人間が広めてもいいと思う。トップの話を気軽に聞けるようになった現代だからこそ、中級者の話が蔑ろにされつつある。しかし、中級者の中にも教えるのが上手な人や考えて行っている人が存在する。そのような人、プロでは無く素人でも気軽に情報を発信できるシステムやツールが欲しいと考えている。
そんな感じ。今日は雨。
きょうのできごと
すごくやる気のない記事を書きます。これはほんとにダメなやつです。
コロナウィルスのせいでみんなが辟易としてますね。私もかなりしんどいです。時間があるからこそ、こう言った、以前よりやってみたいと思っていたブログを開設するに至りましたが、まぁ、自粛の嵐の中、どことないストレスのせいで精神が磨耗しています。
冗長的な文章を書いてしまいました。文章って短くて伝わるならそれでいいんですけどね。長いとどこが大切なのか、どこを伝えたいのかが薄れてしまうので、良くないです。アニメやゲームのラスボスが1人しかいないのは、そいつとの話を一番見てもらいたいからですね。歌でサビの種類が1種しかないのは、そこを強調したいからですね。わたしの文章もそれくらい、簡潔に伝わるものにして行きたいと思います。
日々精進ですね。
今日の夜は眠れない夜でした。
初めてのブログ
誰にも見られないということで、また、最初なので非常に気楽に書いていこうと思います。
最初の記事としては、簡単なあいさつや自己紹介、今後の展望などがお勧めされてますね。
「きゃれる」と申します。趣味は読書、特技はゲームです。22歳男性の非常に平均的な一般人です。
今後の展望としては、出来るならばお金が稼ぎたいなって気持ち。お金は日本において非常に厳正な物差しだと思っています。
お金が稼げるならばそれは評価に値するものであり、この世に存在してメリットがあるものである。と考えています。自分が目指すのはお金が稼げるレベルの、世の中にあってよかったと思われる存在、新しい価値の創出が最終目標です。
さて、今日はとっても月が綺麗ないい夜でした。
なんかたくさん書いてみよーーー。